1965年生まれである私が生きてきた時間のなかで、世界史上の大事件がいくつも起こりました。その中には、それが終わってから知ったものもたくさんあります。
私が生まれる前からベトナム戦争が始まっていて、1973年にアメリカ軍が撤兵したこと。この戦争が、米側22万5000人、北ベトナム・解放戦線側97万6700人と推定される戦死者をもたらしたこと。1975年にカンボジアでポル・ポト政権が生まれ、170万人ともいわれる人々の命を奪ったこと。20世紀の文明を大きく揺るがせたこれらの事件について、小学生だったころの私には、リアルタイムの記憶はほとんどありません。
1979年にソ連軍がアフガニスタンへ侵攻し、1989年に撤退するまでの経緯については、ほんの一部ですが、記憶の中に残っています。この年の終わりに、「ベルリンの壁の崩壊」があったことについては、その前後の出来事も含めて、かなり鮮明な記憶があります。それにしても、実際に生じた出来事の全容からすれば、ほんの一部の報道で見聞きした断片を知っているにすぎません。
それでも、中学生くらいになると、学校で勉強した歴史の知識とか、自分の中に生まれていった思想のようなものに照らして、これらの事件の意味や背景を理解しようとし、感情を揺さぶられるようになります。当然ながら、いずれの事件も報道を通して情報を得るのみで、直接「目撃」したわけでも「巻き込まれた」わけでもありません。
いまウクライナで起こっていることに、これまでのどの大事件よりも感情を揺さぶられているように感じていますが、その理由の一つは、情報を得る大きな手段がマスメディアしかなかったところに、SNSが加わったことにあると思います。発信者から仲介者のフィルターを通さず、直接届く情報は、その正確さやバイアスに留意しなければならないとしても、マスメディア(とりわけ独特な組織文化をもつ日本のマスメディア)による「調整」を経ないがゆえの生々しさがあります。
翻訳ソフトの進歩もあって、ウクライナ語やロシア語で書き込まれるテキストを理解することもできます。家族や友人が殺されたというテキストやビジュアルの投稿は、いま目の前で起こったかのような錯覚すら覚えます。SNSにより、プーチンが開戦宣言を発したことを、ほぼリアルタイムで知り、そのテキストを読みました。その長広舌とご都合主義の歴史観・国家観は、その後に待ち受ける事態の悲劇性を予感させてあまりあるものでした。
中学生のころから抱いている私の理想のなかに、非暴力の思想というものがあって、戦争などというものは言うまでもなく、武力を使うことそのものに、倫理的な正当性を見出せずにいます。振り下ろされる刀を避けたり、盾で受けとめることはしながらも、こちらも武力を用いて、刀を振るい続けるその人の生命を絶ってしまうことについては、これをよしとしないのが非暴力の思想です。
百歩譲って、武力を使う人(軍に属する戦闘員)どうしでの殺し合いに限って認めようとするのが、戦争の法(law of war)の考え方でしょう。しかし、非暴力の思想からすれば、戦争の法は矛盾に満ちています。軍とは何か。軍に「属する」とはどういうことか。もっと言えば「国」とは何か。軍は国に属するものか。「国民」とは何か。国民は国に属するものか・・・。
非暴力の思想からすれば、国も軍も、人の生命の上位にあるものではなく、何人にも生命ある他の人を殺傷する権利はなく、生命ある人が何に属していようと(属した気になっていようと)、とにかく「殺されずにいる権利」があると考えます。だから、戦争のような、生命ある人の殺害を国が公認する「事業」は認めようがないものですし、死刑も認めません。非暴力の思想は、相手の理不尽で自分(あるいは自分の愛する人)が殺されることは受け入れる(よしとするのではなく、仕方なく諦めるのです)のに、その相手(殺す人)が殺されることを受け入れないのです。
もちろん、非暴力の思想で世界の戦争や紛争がなくなるわけもなく、実際に愛する人を殺された人の気持ちをどうするのかと聞かれれば、黙るほかはありません。戦時に非暴力の思想を唱えた人は、非愛国的と蔑まれ、捕らえられ、殺される。そういう歴史が日本にもありました。
ただ言えるのは、独裁者プーチンと、ロシア指導部の人たちの頭の中に咲いている地政学的物語には、たくさんの人の生命を犠牲にしてこの世界に顕現せしむるべき価値は些かもないということのみです。そのことがあまりに明白なために、憂鬱にならざるを得ません。