2021年10月23日土曜日

#わたしも投票します

#わたしも投票しますなど、投票を呼びかける投稿が、ツイッター等でトレンドになっているようです。

私はといえば、選挙ではほぼ例外なく投票をしてきました。しかし、支持政党について言えば、世論調査でいつも最大多数派となる「無党派層」の一員です。特定の政党を常に支持するのではなく、原理原則で投票する、というのが、現在の日本の政治状況ではもっとも適切だと考えているからです。

その原則とは以下の2つです。

1)「現政権が行ってきた政策」への評価
2)「今後の政策」がこうあってほしいという方針

1)は、評価できれば現政権の政党に、できなければ対抗勢力に投票する、というものです。

今の政権についての評価は、私の専門領域に多少とも関連するものに限定しても、首をかしげざるを得ないようなことがいくつもあります。主なものは以下の3つです。

日本学術会議の新会員候補の任命拒否
学問の自由に対する深刻な脅威であり、このような政治慣行が拡大することでより大きな言論の自由の侵害につながる可能性があり、日本学術会議の要望書を全面的に支持してきましたが、いまだに解決の兆しさえ見えません。これについては、大学に身を置く人間として、日本の将来を憂えざるを得ません。日本は科学技術立国しかあり得ない国だと、考えているからです。

・新型コロナウィルス感染症に対する失策
ワクチン供給を極めて速やかに実現したことは評価できます。しかしながら、感染症法の改悪
入院を拒んだ人に対する罰則規定が盛り込まれたことは、この法律の基本精神を台無しにするものです)、布マスクの配布、GoToキャンペーンの実施、オリンピック・パラリンピックの開催などは、明らかに失策でした。これらは明らかに科学的エビデンスに基づかない、おそらくは特定のステークホルダー(利害関係者)の要望に応えたものとおぼしき非合理な施策に見えます。

透明性を欠く政策決定プロセス
今日の公共政策の最も肝要な点は、透明性の確保だと、私は考えています。困難で複雑な課題に対して、どんな政策を打つことが効果的かは、「実際にやってみないとわからない」ものでしょう。そのため、結果として失敗に終わる施策が生じることは、やむを得ないものと思います。肝心なのは、たとえ失敗に終わった施策についても、「誰が、どんな根拠に基づいて、その判断を下したのか」を詳らかにすることです。これには、決定プロセスの細部まで記録に残すことと、それを開示することです。これは思想信条の違いに関わらず、日本を民主主義的な国として維持していくために決定的に重要な原則です。現在の政治状況では、この原則が甚だしく損われていると感じます。

これらは批判すべき点ですが、もちろん評価できる点もあります。ハンセン病の家族訴訟の控訴断念「黒い雨」訴訟の上告断念などは、その最たるものです。

さて、これらを勘案して、総合評価をどう考えるか・・・。

2)については、中島岳志先生が「強権的なウヨク政権、教条的なサヨク運動でもない『リベラル保守』」という記事でわかりやすくまとめてくれています。「リベラルかパターナルか」という軸と、「リスクの社会化(セーフティネットの強化)かリスクの個人化(自己責任)」という軸とで、四象限に分けて政党の基本方針を色分けするものです。この四象限のどこに位置するかは、同じ政党でさえも、党内での勢力争いなどによって揺れ動いているようです。

さて自分はどうか。
「リベラルかパターナルか」については、私はこれまでの人生で、一瞬たりとも「パターナル」な政治をよいと思ったことはないように思いますので、この軸での自分の立ち位置ははっきりしています。

問題は「リスクの社会化(セーフティネットの強化)かリスクの個人化(自己責任)」の方です。こちらは、状況によって、問題によって、多少なりとも揺れ動いてきたように思います。今現在の状況は、日本社会のあちこちに、コロナ禍で困っている人がたくさんいるように思いますので、「リスクの社会化」の方がよいように感じます。もちろん、そのためには財源などの課題があるわけですが、これまでの10年ほど「リスクの個人化」の方針を強めてきて、結果として社会状況がよくなったとも思えません。

ということで、「リベラル」で「リスクの社会化」を求める方針で、私は投票したいと思います。さて、それはどこの政党か、候補者かをよくよく調べ、現政権への総合評価も考えつつ、投票に出かけることにしましょう。