2021年12月20日月曜日

昔好きでもなかった曲が刺さる

  最近、大瀧詠一氏の音楽をよく聴いています。直接の理由は、音楽のストリーミング・サービスで聴けるようになったことですが、もっと深い理由として、自分の心の経年変化があるのだろうと思います。

 いまから40年近くもの昔、高校の部室(伝統ある白虹会という名の美術部の古い木造の建物)で、先輩たちが延々と流していたのが「A LONG VACATION」。このアルバムに描かれているイラストのように、アメリカ西海岸風というか、きれいなものばかりを写しているというか、とにかく自分にとってリアリティを感じない「画風」の楽曲ばかりで、どうものめりこめないのでした。が、上下関係の厳しい部活動で、先輩たちが有無を言わさず来る日も来る日もカセットテープで流し続けるという、放課後の「音の壁」。そのなかで、私たちは校舎の電気が完全に消される時間がくるまで、石膏像の木炭デッサンをしていました。耳で拒否しても、体表から入ってきてしまうようなぐあいでした。

 当時の私は、来る日も来る日もビートルズを聴いていました。実は、ビートルズも、美術室の部室で先輩たちがガンガンかけていたのでしたが、こちらは完全に自分自身の動機で聴き始めたのでした。高校1年生の時のこと。ビートルズのことなどまったく知らなかった私ですが、ある日、同級生の1人がものすごく落ち込んでいる様子だったので、「どうしたの?」と声をかけました。彼は、「ジョン・レノンが死んだ」と。たぶん、私は「それ、誰?」というような言葉を返したのだろうと思います。彼は「知らなければいいよ」としか答えてくれませんでした。その様子が気になって、行ったこともないレコード店に出かけて、一枚買ってみようと、聴いたこともないままに一枚のシングル・レコードを買いました(当時は「視聴」なんてことはできませんでしたし、もちろん、ネットは存在すらしていませんでした)。

 それが「イマジン」でした。いやもう、これはすごいと。若い私は、そこからずっと、かれらの楽曲に完全にのめりこむことになりました。メロディもさることながら、訳詞に書かれている内容に衝撃を受けました。B面に入っている曲(知らない人のためにいいますと、レコード盤のオモテ面=A面を聴いて、裏返してB面を聴くのです!)もまたすごい。「労働者階級の英雄」です。日本の歌謡曲では聴いたこともない政治的な題材で、なおかつ文学者が作る詩にも見劣りしない訴求力の虜になりました。やがて、もっと多様な海外の歌手の楽曲も聴くようになり、洋楽にも不出来の歌詞がたくさんあることを知る一方で、これはもう古典でしょうと思えるような作品に出会って感動したりしていました。一曲だけ例を挙げれば、ボブ・ディランの「はげしい雨が降る」とか。

 そこから長い年月を経て、大瀧氏急逝の報に驚き、その音楽を久しぶりに聴いてみようかと思ったりしたのですが、そのころに、自分の心の変化に気づいたのでした。それはつまり、「こういうものを作った人たち」を、ちょっと離れたところから見つめる視点ができていたことです。「上から目線」に聞こえてしまいそうですが、「ああ、この人たちは、こういうつもりで、こういうことをしたかったんだな」という見方・聴き方をするような感覚です。これらの楽曲を作った人たちが語ったインタビュー記事も読み、多少なりとも彼らの物語というべきものに触れました。そのせいか、高校生の頃にはリアリティを感じられなかった楽曲が、不思議な真実味をもって心地よく耳に入ってくるように思えるのでした。メロディも、歌詞の言葉の一つ一つも、大滝氏の甘めな歌声も、味わい深く、愛おしく思えるのでした。