2020年9月28日月曜日

大学での勉強の仕方:講義というものについて

  大きな教室で90分間の講義を聞く、というのが、日本の大学の最もよくあるスタイルです。90分というのは、じっと聞いているには長すぎますし、かといって膨大な知識を伝えるには短すぎます。90分をどう使うべきか、いまだに悩み続けています。

 自分が聞く側の大学生だったころのことを思い起こせば、もちろん、素晴らしい講義をしてくれた先生もたくさんいましたが、苦痛に感じる授業も少なくありませんでした。自戒の意味も込めて、あえて悪い方の例の共通点を考えてみると、ずばり、「話(トーク)として分かりやすさも面白さもない」ということに尽きると思います。ここでは「面白さ」の方は棚上げにして、「分かりやすさ」だけを取り上げます。

 講義の目的は、知識を「伝える」こと(単に「語る」ことではなく)ですから、分かりやすさは不可欠でしょう。ところが、この〈分かりやすく伝えることができる〉という、教育者に求めるべき能力は、日本の大学教員の選考課程ではあまり重視されてはいません。伝統的に重視されてきたのは研究業績であり、論文や著書の数などです。

 ただ、大学で学ぶ知識は、どの領域でも膨大で、また複雑化しています。例えば「感染症」一つとっても、ウィルスや細菌を系統だてて分類する知識(生物学)、感染して増殖し毒性を発揮する分子レベルの仕組みの説明(分子生物学や生化学)、集団の中で感染がどのように広がっていくかの説明(疫学や統計学)、感染症を社会的にコントロールするための法律や制度(法学や政治学)、さらには感染症が引き起こす偏見差別の実態やその防止策(心理学や倫理学)などなど。

 このように「知識」は、「○○学」というような枠組みを超えて、アリの巣のようにつながり合う、大きな「ネットワーク」のようなものになっているのです(文系と理系の区別なんて、とっくの昔に意味がなくなっています)。このようにネットワーク化した知識を講義という形式で伝えきるのは、大変に難しい。どうしても、90分間という時間の枠のなかで伝える内容を限定せざるを得ないのですが、その場合に何を削って、何に時間を使うかがとても重要なポイントになります。

 1つの(ある意味で安直な)方法は、トピックスを限定すること。感染症の勉強で例えると、生物学的な内容だけにして、疫学や法律の話はしない、ということです。もう1つは、ケーススタディとか、ディスカッションとか、より演習的な形式(教員と学生、あるいは学生同士での相互作用が生じやすい形式)を採り入れることです。演習的な形式の方が、教員にも学生にも充実感を与えてくれることは間違いないのですが、いかんせん、大人数の講義では難しい。大学院の講義では、これができるのですが。

 いずれにしても、必要になるのは、学生に講義とは別の時間に本を読んでもらって、基本的な知識を身につけてもらうことです。ところが、よく言われるように、これをしているのが欧米の大学で、していないのが日本の大学です。実は、日本の大学でも、講義以外の時間に予習や復習をすることが一応の決まりになっているのですが、実態としては、日本の大学生の読書量はきわめて少ないようですし、教員も受講者が本を読んでいないことを当然のものとして受け入れています。

 こうして、学生は本を読まず、教員はトピックスの限定された講義をするために、学生の知識は体系だったものになりにくい。つまり、個々バラバラのトピックスの寄せ集めで、それらが有機的につながった〈知識のネットワーク〉が育ちにくいということが、日本の大学の講義の大きな欠陥ではないでしょうか。

 ということで、当たり前のような話ですが、その講義に関連した本をできる限り範囲を広げてたくさん読むことが、講義という仕組みで知識を身につけるには不可欠だということです。