2021年6月11日金曜日

オンラインでの人とのつながり

 コロナが人類に残すであろう遺産はいろいろとありそうですが、いますでに実感できているものが、オンラインでの人とのつながりというものでしょう。コロナ前から隔世の感を抱くような例だけ挙げるなら、遠隔地からの大学院生を受け入れたことと、ハンセン病療養所に暮らす人たちとオンラインで会議を行ったこと、の2つです。

大学院教育
 私のような研究テーマであれば、オンライン大学院で大きな支障なく大学院教育が行えているように感じています。通常の場合でも、大学院生とは週に一度ほどの面談と、人数にもよりますが、やはり週に一度ほどのゼミを行って、かれらが研究の計画立案から倫理審査の申請へと進めていけるように支援します。最初の段階で院生が行うのは、研究の構想を具体的なものにしていくこと、背景となる先行研究を文献検索によって集めて自分の研究の学術的な位置づけを明確なものにすること、などです。
 この課程は、自分の頭で考え、文献データベースを調べ、指導教員やゼミの仲間と対話をすることで進んでいくものですが、コロナ前と今とを比べてみると、「対話」を対面で行うか、オンラインで行うかの違いだけがある、ということになります。そして今のところ、この違いによるデメリットはあまり大きくはないのではないかという気がしています。
 それよりも、日本全国どこからでも学ぶことができるということ、すなわち、生活の場を移して家族から離れたり、今の仕事を中断したりすることなく学べるというのは、とても大きなメリットではないかと思います。時差と通信環境の課題さえ克服できれば、他の国からでも進学してもらえるでしょう。

ハンセン病療養所の人たち
 ハンセン病療養所は、かなり徹底した面会制限を行っているようで、コロナ前に行っていた療養所外の人たちとの交流活動がほとんど途絶しています。入所者が非常に高齢で、持病をお持ちの方も多いために、致し方のないことと思います。しかし、それにしても、何という皮肉な状況が生じているのだろうと、嘆かざるを得ません。
 ハンセン病という感染症によって・・・否、そうではなく、この感染症に対して行われてきた不合理な政策によって、彼らは家族や故郷から切り離された人生を歩んできました。長い年月におよぶ隔離生活の末に、らい予防法が廃止され、国賠訴訟に勝ったことで、療養所の外の人たちとの交流が活発になり、なかには若い世代の来訪者と子や孫のような関係を築いた人も多数いらっしゃいました。それが、このコロナ禍で、ぷっつりと途絶えてしまいました。
 私が関わっているハンセン病市民学会は、研究のためだけの学会ではなく、交流や啓発をも目的にした集まりです。その活動の一環で、最近になって、回復者の方々とオンラインで話し合うことができました。コンピュータなどの扱いが苦手だとおっしゃる方が多いのですが、療養所のスタッフなどが支援をして、オンライン会議のためのソフトウェアや、マイクやヘッドフォンの準備などを行っていただいているようでした。情報技術の支援というものは、この状況では非常に価値あるものだと実感しました。

一緒の空間にいなければできないこととは?
 さて、一緒の空間にいなければできないこととはどんなものかと、あらためて考えさせられています。モニターに映る像ではなく、本物の全身像を視界に入れて、言葉だけに頼らないコミュニケーションを行って、一緒にご飯を食べて、お酒を飲んでと、「懐に飛び込む」とか「同じ釜の飯を食う」というような関わりは、オンラインでは難しいでしょう。オンライン飲み会も、あまり楽しくはないと感じる人が多いと聞いています。
 しかし、少なくとも院生と教員との間では、そのようなことができなくても、ほとんど支障はないと、私は思っています。もちろん、学生どうしが友達や仲間になる上では、是非ともあった方がよいものに違いありません。ただ、私の研究室に限らず、日本の医療系の大学院生の多くが、現場で仕事をしながら入学してくる、いわば「すっかり大人」な人たちなので、相互に尊重しあって助け合うという関係性は、実空間でのコンタクトがなくても作ることができるのかもしれません。
 ハンセン病回復者との交流はどうでしょうか。若い世代の人たちには、回復者の皆さんの姿を生で見て、声を生で聞いて、できれば手を取り体を動かすのを手伝ったりして関わってほしいと、切に思います。その一方で、このパンデミックの中にあって、大袈裟に言えば市民的自由を手に入れるための手段として、デジタル機器を活用して様々な人と関われることも、彼らの重要な権利だとも思います。そのための支援は、実際のケアに当たっている人に求められる大切な仕事になっています。

スプーンのように使える技術の進歩に期待したい
 それにしても、最近のオンライン会議のソフトウェアはとてもよくできていて、通信環境が多少悪くても、途中で途切れることがあっても、会議を続行することが可能になっています。しかし、インターフェイスにはまだまだ改良の余地があるように思います。理想としては、デジタル機器に触ったことのない人が、他人の支援がなくても使えることです。そんなことなどあり得ないでしょうか? 技術者の知恵を磨けばできるはず、と信じたいところです。例えばスプーンは、触ったことがない人でも使えるでしょう。「どうしてスプーンは、使い方を学ばなくても使えるのだろうか」と、考えてみる価値はあるのではないでしょうか?